アルカイック スマイル
- untitohu1987
- Oct 17, 2022
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奈良に行ったら絶対に拝観したい仏像ベスト10|All About(オールアバウト) 広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像とは? 広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像。 この長ったらしい名前、どーゆー意味なんでしょう? 実は、弥勒菩薩半跏思惟像は 「弥勒」という 「菩薩」が 「半跏思惟」している「像」という意味なんです。 「菩薩」とは、悟りを開くために修行している者で悟りを開く一歩手前まできた凄い人。 そんな中でも、弥勒菩薩は未来に悟りを開くことが約束された特に凄い菩薩なんです。 アルカイック スマイル それを約束された弥勒菩薩は、 「私たちも弥勒様のところに行ければ、悟りを開けるのでは!」と多くの人々の信仰の対象となりました。 さらに、 弥勒菩薩は悟りを開いた後、現世に生きる我々を救いに来てくれる・・・と考えられていて、救世主として信仰されることも。 仏教では現世は困苦に満ちた世界とされ、そこから解放されるには悟りを開いて仏になる(成仏する)必要があるとされています。 しかし、悟りを開くのは簡単ではありません。 紀元前500年ごろにブッダが釈迦如来となって以降、誰も悟りを開けていないんです。 そこで弥勒菩薩の登場です。 悟りを開けず現世で苦しむ我々を助けに来てくれる弥勒菩薩はまさに救世主なんです!! ただ、1つだけ重大な問題もあって、弥勒菩薩が成仏して私たちを救いに来てくれるのは56億年後と言われています。 途方も無い時間です(汗 弥勒菩薩については、以下の記事で詳しい紹介していますので、この記事を合わせてぜひご覧ください! 広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像のアルカイックスマイル 日本に仏教が伝来した後、日本仏教は和風文化や日本古来の八百万の神との関わりの中で、独自の発展を遂げてきました。 それに合わせて仏像の様式も様々に変わっていきます。 しかし、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、仏教が日本独自の進化を遂げる以前の姿を見せてくれます。 仏教伝来初期の仏像を見れるのは京都内ではおそらく広隆寺だけなんじゃないかな?と思います。 そして、仏教伝来初期の仏像の大きな特徴の1つが アルカイックスマイルと呼ばれる弥勒菩薩像の独特な表情なんです。 仏教は、朝鮮半島から伝来したので朝鮮の仏像様式が強く反映されています。 アルカイックスマイルとは、顔の表情を抑えながら口元だけを微笑ませた笑顔のこと。 落ち着いた面持ちの中に、強い生命感や幸福感が表現されていると言われています。 弥勒菩薩がなぜ微笑んでいるのかと言うと、今となっては誰もわからないのですが、一般的には「将来、如来となって人々を救う時のことを考えて微笑んでいるのだ」と言われています。 また、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像はその思索に耽ける様子から、ロダンの考える人にちなんで「東洋の詩人」と呼ばれることも。 弥勒菩薩という菩薩のキャラクターやその造形美からミステリアスなオーラに包まれているのが弥勒菩薩半跏思惟像と言えそうです。
弥勒菩薩 半跏思惟像|中宮寺と広隆寺の二つの仏像の違いを比較解説
西院伽藍の中心となる施設、法隆寺 金堂。 本尊がまつられた寺として最も重要な建物であると同時に、世界に現存する木造建築の中でも最古にあたる、由緒ある仏堂です。 全体の形はほぼ正方形に近く、二層の入母屋造りの上層の屋根は2方向に、下層の屋根は4方向へ勾配しているさまは、美しいの一言です。 上層と下層をつなぐ支柱に巻き付けられた龍の彫り物も、荘厳な雰囲気をかもしだしています。 金堂もまた再建された建物です。 607年(推古15年)の創建当時の建物は、670年(天智9年)に火災で焼失。 ただし、大講堂などとは違い、法隆寺の中心となる建物だけに再建は早かったと言われます。 建築物として目を引くのが、エンタシスの柱です。 エンタシスとは、円柱の下の部分から上の部分にかけて徐々に細くなっていく様式のことです。 古代ギリシャ発祥のこの建築方法は、中国を経て、日本に渡来。 1本1本の柱がまさに歴史のロマンですね。 金堂の内部には、法隆寺の本尊、薬師如来を中心とする釈迦三尊像が安置されています。 本尊の光背の裏には銘文が記されていて、622年(推古30年)に物故した聖徳太子の冥福を祈って、太子と等身大で作られた仏像であることがわかります。 仏像の完成は、翌623年(推古31年)です。 この薬師如来は、他の多くの仏像と比べても独特です。 特に特徴的なのが、アルカイックスマイルと呼ばれる、穏やかに笑みをたたえた表情。 薬師如来は広く人々の病気を治して延命すると同時に、精神的な苦痛をも取り除く如来で、アルカイックスマイルはその優しさの象徴と言ってもいいかもしれません。 中学実技教科の定期テスト対策向け一問一答チェック
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